夢テーブル委員会■但馬の近代化遺産の調査■
2007-01-17T14:36:13+09:00
venex5
2005年度~2006年度の二年間の活動報告
Excite Blog
■ 夢テーブル委員会2006年11月例会
http://venex5.exblog.jp/4997373/
2007-01-17T13:20:00+09:00
2007-01-17T14:36:13+09:00
2007-01-17T13:20:32+09:00
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■06年11月 関宮~村岡
11月11日(土) 9:30~16:30
参加者 夢テーブル委員 福岡 中尾
一般 永松 藤原
行政 永松 船谷
見学場所 山田風太郎生家~造り酒屋銀海~関宮保育園現場見学~福定の河川公園~村岡地区福岡~熊波堰堤~山田堰堤~大谷地区~森田邸
AM 山田風太郎生家~造り酒屋銀海~関宮保育園現場見学~福定の河川公園~村岡地区福岡
PM 熊波堰堤~山田堰堤~大谷地区~森田邸
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■ 本日の参加者
本日の参加者はすくなくおまけに雨が降りそうな天気
集合場所の山田風太郎記念館で集合
早速、山田風太郎生家へと向かう。
▼風太郎生家
最近左側の棟が解体されたらしく何か広々している。
といっても写真を撮らなかったので後で載せます。
▼ 銀海
風太郎生家すぐ右手にある造り酒屋
▼ 内部
▼麹室
▼試験室
▼酒樽
▼玄関土間にあるかまど
▼外にある蔵はギャラリーになっている
関宮の旧街道をぶらぶら歩きながら散策
その後、風太郎記念館を少し見て関宮の建築現場を見学後福定地区へ
▼福定親水公園
昭和16年にできた床固め工法の砂防施設。赤木博士が携わった。
床に使われているのは大きな自然石である
付近に扁額があるはずだが・・と探したがわからなかった。
▼村岡福岡地区 この立派な家。
-----------------昼食-------------------------------
▼熊波堰堤 石でできた堰堤
▼山田川堰堤 ここも同じように石でできている
▼ なにやら堰堤をにらむように石像がたっていた
その後、藤原氏がお勧めの大谷地区に行く
国道から矢田川の対岸にある小さな集落である
しかし、どの家も基礎が高い。矢田川の氾濫のための備えなのであろう・・しかし
異常に高い。
なんともいえない、村中の空間である
最後は香美町唯一の登録文化財の森田家のある奥佐津まで向かう。
雨が激しくなる
▼ 森田家
道路を挟んで反対側にあった蔵
雨がさらに激しくなり今回はこれで終了。お疲れ様でした。]]>
■ 夢テーブル委員会2006年12月例会
http://venex5.exblog.jp/4902892/
2006-12-27T10:14:00+09:00
2006-12-27T10:17:56+09:00
2006-12-27T10:14:05+09:00
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■06年12月 八鹿・養父・出石
12月9日(土) 9:30~16:30
参加者 夢テーブル委員 三輪 日下部 三輪 福岡 中尾
一般 谷本
行政 永松 西脇
見学場所 石原公会堂、長島邸、東上野の水道、奥米地の堰堤、奥山川、福知山雲原地区の砂防関連施設
AM 石原公会堂、長島邸、東上野の水道
PM 奥山川、福知山雲原の砂防関連施設
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■ 本日の参加者
■石原公民館
大正8年に建てられたモダンな公会堂
大正8年といえば大宝商店が妙見杉を切り出したころ。とにかくこの石原地区はにぎわったという。
中央の玄関を中心にシンメトリーの建物
内部の広い階段
2階バルコニーから外を見る 玄関が細い道を面していることから昔のメイン道路はこの細い道だったことがわかる。
それにしても立派な階段である。小学校並みの親柱
説明してくださった区長の鎌倉さん。鎌倉さんも元々は、この地の人ではなく伐採のときに移り住んでこの地にいるとのことでした。
■石原博物小屋
地区にある小さな博物館ですが、今はあまり飾られてなかったのが残念
■長島邸周辺の水路と砂防堰堤
床固めの水路
長島家の石垣・・城壁に近い
砂防堰堤。今まで見てきたものより古いことがわかる。自然石をそのまま積み上げている。
このような堰堤があるとは知らなかった。登録文化財ですな~~と声が上がる。
年代不詳
■長島邸 内部
外観等はHPで見てください
http://www.hyogo-aba.or.jp/50anive/50/06/index.htmなんと、この長島家の運営補助金が無くなるという。今後どう活用して行くか・・難しい。
もっと利活用する手法はないのかとみんなで議論。
■東上野のいのちの水
大正10年寄付金を得て竹樋を向山谷川(国道の反対側)より敷設引水し飲料水のみを使用
大正11年3月 部落改善事業補助下付願提出
大正11年8月 380円の補助決定
大正12年11月 飲料水工事完成
大正12年2月 竣工
説明してくださった安井さん
「大正カラン」の文字が光る
■奥米地災害復興記念碑(奥米地水谷神社境内)
昭和9年の室戸台風で大水害 流出家屋6戸、土蔵3棟、水田被害22丁歩、桑畑20丁歩、橋梁全部流出、堤防63箇所耕地は瞬時にして廣漠たる荒野に化する。
村民一致協力4年の歳月と16万円の巨費を以って工事を完成
昼食 ------------------------------------
■奥米屋の堰堤
炭焼き小屋の裏側にある
■奥山川(出石)の護岸
これも昭和9年の台風以後作られたもの。正確な文章はないがこの延々と続く石積みの護岸はほかにはないものである
■福知山雲原の砂防記念碑
治水の神様、赤木正雄氏が作った砂防を見ようと足を伸ばして福知山で行く。
ここもやはり昭和9年の室戸台風の被害で復興した施設である
この関連施設は砂防施設としては初めて国の登録記念物(登録文化財ではない)として指定されている。
中丹西土木事務所HP参照
http://www.pref.kyoto.jp/chutan/doboku/kasen-nisi02.html
赤木正雄氏と雲原砂防は京都府のHP参照
http://www.pref.kyoto.jp/sabo/kumohara_web/adv/adv1.html
帰りに但東町で卵を買って帰ってきました。帰りに浅間隋道による予定でしたが暗くなり、おまけに車を止める場所もなく次回ということで帰りました。
八鹿土木17:30
次回は1月後半にある近代化遺産講座に参加予定
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■ 夢テーブル委員会2006年10月例会
http://venex5.exblog.jp/4783392/
2006-12-02T20:33:00+09:00
2006-12-02T20:43:18+09:00
2006-12-02T20:33:05+09:00
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■06年10月 温泉美方村岡
10月16日(土) 9:30~16:30
参加者 夢テーブル委員 三輪 米田 三輪 福岡 中尾
一般 能登 木村+まいちゃん
行政 永松 西脇 佐々木 前澤
見学場所 旧温泉町湯~海上~石橋~青下~旧美方町神水~貫田~旧村岡町へ抜ける
AM 旧温泉町役場・温泉小学校・浮田堰隧道・石橋の池・岸田川発電所及び水路
PM 矢田川橋・旧小北小学校跡・田村邸・宮脇邸・一二峠・萩山の民家
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■ 本日の参加者
■ 旧温泉町役場
昭和8年竣工の建物ですが新しく新支所が建設中、竣工後は取り壊されるため新温泉町の教育委員会にお願いして見学させていただいた。和洋折衷の建物。正面や妻側には懸魚が施されており、また屋根も反った形になっている。2階までスクラッチタイルが張ってある。しかし色は赤色、、たぶん後で塗られたのだろう。
▼ 外部
▼ 内部
元議会室
1階にある出納室
町長室
階段室 360度の階段 なかなかないぞ!こんな階段
玄関上の照明
玄関に張られていたタイルとボーダータイル・・年期がはいっている
▼ 温泉小学校円形校舎
昭和33年に建てられた小学校も今は新しい校舎が建設中。次年度にはこの校舎もなくなる。
この校舎をクリスマスケーキに見立ててイベントを行うという。
というか、私がHPにUPするのが遅く今朝の新聞にはクリスマスケーキが載っていた。
神戸新聞記事 http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/tj/index.shtml
▼ 浮田堰隧道(昭和26年 豊岡土地改良事務所)
この隧道を知ったのは県民局に行きぶらぶらと土地改良に遊び?に行ったとき。
知り合いの職員が教えてくれた。決して中に入らないようにと念を押された。
海上というところにあるとは聞いたが実際どこにあるかわからず。いろいろ人に聞いてもわからない。また、ちょうどお昼前で誰もいない。草を刈っていた人がいたので場所を教えていただこうと声をかけると、親切にみんなの前で海上の歴史や隧道の話をしてくださった。
村の中を下る
説明をしてくださった尾崎さん。質問は手を上げて・・・
田に送る水がなく隧道を掘ったらしい。
隧道の完成記念碑
親切に教えてくださりありがとうございました。
気をよくして次は石橋の池に行く。たらいこぎレースで有名だ。
ただこんな山の中にこんな大きな池があるのだろう。
豊富な水の場所である
湧き出てくる水
聞けば一雨振ればいたるところから水が出てくる地だという
先ほどの海上とはえらい違う。
ここで弁当でも食べりゃアよかったとみんなから文句が出る。しかしこのあたりには食べるところがない。しかたなく次の場所、青下(あおげ)に向かう
▼ 岸田川発電所へ送る送水管
道路の下をくぐって送水管がある。
左が現在の送水管 右が古いもの?と思われる
▼ この青下地区には新田開発のため明治に作られた水路がある。それを記した石碑
現在の水路は全て蓋をされ通路となっているため水路に水が流れているのは数mおきにある点検用のグレーチングから見えるだけ。この水路は田畑はもちろん先ほどの発電所への水にも使われている。
▼ 発電所へ送られる水路 なにやら不気味でもある。
いつも何か探っているN氏
この水路をみんなが歩く
まずは・・最初
おっとまた増える
おっとまた増える
向こうの山も低いというか、こちらが高いというか・・なんともいえないこの風景。
何でこんな水路の上を歩かんなあかんのだ!と聞こえてきそうだ。
青下の神社の石積み 大きい!
全景(クリックすると大きくなります)
ここで午前中は終わり。外に13:00を過ぎていた。
昼食は再び温泉町の某施設で。ここでSさんと合流
おねえさんに・・この米はなに?と聞くと「コシヒカリです。それも新米です」と答えてくれた。
すぐさま「うそだ!」とつぶやく。
遅い昼食の後は美方町へ
▼ 矢田川橋 昭和33年架橋
どうも合点が行かない橋ががこれだ。昭和33年とは思えない。
親柱を覗き込む
いくら読んでも昭和33年
リベットで接合されている
メンバーが橋が少し短いことを言い出す。確かに岸から岸へ橋が架かっているのでなく1/5ぐらいのところで橋脚がある。おかしい、、、どこから移設されたのだろう。たしか冊子に載っていましたよ。浜坂から淡路に帰った橋があるとか。・・そんな話をしながら「寸足らずの橋」で終わる。
翌日 県民局で橋の話題をする。早速調べるとやはり国登録文化財になっている橋と同じ形状だとわかる。
この記事が載ったのは1ヵ月後だった。
神戸新聞の記事http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000163653.shtml
してやったり。これぞヘリテージの醍醐味。
この橋で淡路と但馬の土木事務所で結構やり取りがあったようだ。
▼ 旧小北小学校
廃校後、民間の工場で使われていたがそれも撤退。
なんか色や窓の形を見ると東京都庁のようなデザイン
▼ 貫田の田村邸
昔からの庄屋 明治の建物である。
立派なうだつがあがっている
うだつの中の鏝絵
その後 近所の宮脇邸に寄りたくさんのサツマイモをいただく。これも収穫であった。
その後、美方から村岡に抜ける一二峠(ほいとうげ)にゆく。昔のかごを担ぐ人はイチニイチニとはいわず、「 ほい。ほい。」と掛け声をかけていた。そのことから一二をほいと呼び「ほい峠」になったとか。
この峠は昔の村岡・美方を結ぶ旧街道。私からいえば「うだつ街道」なのである。
途中で出会ったおばあちゃんにKさんがインタビュー。
峠を降りて萩山の民家。ここにもうだつがあがっている
その後、村岡の石原の神社の大木を見て本日は解散。たくさんのサツマイモはここでみんなに配給しました。
その後、私たちは帰りに民家を見つけ・・・すぐさま見に行きました
ほほ~~~お
で、17時過ぎに解散しました。
次回は 終わったので12月例会のご案内
12月9日(土)
集合 10:00 八鹿土木
行き先 石原の公会堂 、長島家住宅、東上野の水路、奥米地の河川改修跡、出石川の河川改修。できれば砂防の人赤木正雄氏が携わった福知山市雲原村の砂防に行きたいです。その後、忘年会をしましょう。場所は大屋町にて。
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■ 2006年9月例会 大屋町
http://venex5.exblog.jp/4295622/
2006-09-17T12:55:00+09:00
2006-09-20T21:33:58+09:00
2006-09-17T12:55:56+09:00
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■06年9月 大屋町
9月16日(土) 9:30~17:30
参加者 夢テーブル委員 福岡 河辺 中尾
一般 永井
行政 永松 船谷
見学場所 大屋町
AM ヴェネックス本社・横行発電所・若杉分校
PM 古屋小倉家屋敷跡・和田邸・明延鉱山跡
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▼ 本日の参加者
■9:30少し遅れて八鹿土木集合
■ヴェネックス本社(昭和7年 浅原建築事務所)
▼外観(写真は以前撮ったもの)
▼ 内部(まだ片付いていない)
■ 横行?(栗の下)発電所跡(石垣の下に少し円形になったところが排水路跡)
大正6年~昭和○○年頃まで使われていた明延鉱山の発電所
▼ 横行に行く途中にある水路跡(写真は以前のもの)
■ 横行発電所(現在のもの)
その後取水口を目指すが結局わからず。平家ヶ城跡まで行き少し森林浴
■谷を越えて西谷小学校若杉分校
1階が講堂2階に3教室の小さな学校である。
昔を懐かしむような感じ
-----------------昼食
■ 昼からは古屋に向う。
ロマンの里 古屋の変貌
見渡す限りの森林の中に佇んでいるあなた今ここで50年~80年前にタイムスリップして見て下さい。
当時の古谷は田地300アール稲麦の二毛作,畑地も300アール,馬鈴薯,豆類,蔬菜,雑穀などは自給を上廻る生産でした。
春秋2回の養蚕は農家を支える最大の収入源でした。桑畑は400アール,当時は森林はなくここに三十数戸の家が点在して克苦勉励していました。養蚕最繁時には大屋町,波賀町,一宮町からも多数の手伝人が入村して来られた。家屋も養蚕に適した大型で草屋根が主でした。
又,良質で定評のあった炭焼きも収入を支え各所に煙が見られました。篤志農家は苹果,桃,梨など果樹栽培も開拓して成果を挙げていました。
小倉製糸工場はボイラーを設置(工場跡標柱をご参照下さい)男女従業員100名を超えその業績も秀抜でした。
又,霊鷹鉱山が創設され50余名が就業,坑道100米と言うこの人々は村民とも克く親しみ盆踊り,山神祭,赤滝祭,地蔵祭等に参加し盛大で日頃の労苦を忘れ明日の活力となっていました。
南谷小学校・古屋分校があって4年生までが学んでいました。各地には山崩れやダム建設に依り廃村になった地区も多くありますが,環境の支配と高度成長の余波もあり1000年の伝統(小倉本家墓園参考)と実り豊かに栄えたユートピア古屋の地を心ならずも追いやられた当事者のみが知るロマンの里古屋を探訪されたあなた,いにしえの面影を止めぬ森林の中で今,果たしてこれを信じることが出来るでしょうか。
資料 ふるや誌 著者 千葉保氏に依る 製作(並びにアレンジ)明石 浅野兼太郎
さて到着。資料を渡すと全員熱心に図面とにらめっこで屋敷跡を探っていた。約一時間ほど森林浴。
■ 小倉家本邸跡
小倉家本邸跡に生える老松。樹齢500年以上と言われている。 小倉家14代当主興一右衛門宗清(1724-1796)は但馬から播州に亘る 広大な山林・田畑を領有し、管理するのに従来の家屋敷では諸事不便 となり、近くの要塞の地に、巨費と数年の歳月を費やして屋敷を造営本邸を新築し、 宝暦元年(1751)桜の満開の日に入居した。製糸工場跡は本邸の隣に位置するが、もちろん跡形もない。 山が削られて敷地がずれないように護岸ばかりでなく 川の底も石が敷かれている。戦後農地法の改正で小作人に亘り当時の施策として杉・檜が 植林された。(但馬学研究会98年11月例会より)
文章など詳しくは昨年の9月例会参照
■ 古屋小倉家
八鹿より約40分大屋川上流に車を走らせると古屋に着く。古屋の奥の杉木立の中に山城のような苔むした石垣がある。これが小倉家本邸と製糸工場跡である。
その昔、古屋は交通の中心地であった。
明延鉱山が明治政府管理となったため、19代当主寛一郎(1859-1945)は欧米との 貿易拡大に貢献し、併せて家運の隆盛を願い、大屋の上質のマユに目を付け、上質の生糸を量産する事業を興す。
1877年(明治10年)機械式盛業製糸工場を創業する。
1881年(明治14年)には、横須賀海軍工廠にボイラーを特注し、金属機械製糸を開始した。同業のグンゼ等にもボイラー設置を勧め、指導し、但馬の養蚕産業の近代化・量産に 貢献し、但馬は活性化された。女工員百余名(主に播州より)。 宿舎完備。神戸、横浜の貿易商を通じて海外へ輸出。
渋沢栄一等と横浜生糸預り所設立等、中本経済の中枢で活躍していたのであるが、1889年(明治22年)に突然廃業した。なぜ廃業したのか?謎は多いが、寛一朗の「豪遊」は並大抵のもの ではなかったらしい。廃業後、このボイラーは1軒迂回して綾部のグンゼに 引き取られたという。(但馬学98年11月例会より)
▼ 水路の底は石がきれいに敷き詰められている
▼ 人工的に作られた滝の裏にも石が敷き詰められている
■ 古屋の入口の民家
■ 和田邸
■ 明延、第一浴場 昨年9月に来た時は改装中だったが今回はきれいになった姿を見ることが出来た。
■ 明延鉱山跡
その後一時間ほどうろうろして17:00終了 結局 神子畑には行けなかった。
土木着 17:40
次回 10月14日(土) 9時15分 JR江原駅 10:00 旧温泉町役場
行き先 新温泉町 温泉町役場内部見学 浮田堰隧道 青下の水路 岸田川発電所
香美町 熊波堰堤・山田川堰堤 入江ダム 矢田川発電所
旧美方町 木村邸 田村邸 水間橋 旧小北小学校]]>
■ 夢テーブル委員会2006年8月例会
http://venex5.exblog.jp/4190351/
2006-08-27T17:56:00+09:00
2006-08-27T18:08:55+09:00
2006-08-27T17:56:12+09:00
venex5
■06年8月 養父・和田山・梁瀬
8月19日(土) 10:30~16:30
参加者 夢テーブル委員 三輪 池口 福岡(夜のみ) 中尾
一般 大林
行政 西脇 永松 船谷 佐々木 前澤(夜のみ)
見学場所 八鹿~養父~和田山~梁瀬~夜久野
AM 養父猿岩のトンネル・JR養父駅・高田の流れ橋・高田公民館・秋山邸・吉井邸
PM 和田山本町公民館・梁瀬グンゼ・JR旧夜久野トンネル・JR梁瀬駅
懇親会 (みのり館コテージ) 池口・中尾・福岡・西脇・永松・佐々木・前澤
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▼ 本日の参加者
■ JR養父駅 明治41年
▼ 改札口
▼ プラットホームを見る
▼ 切符売り場 黄緑のペンキが印象的。改札口のデザインは昔のまま?
▼ 手荷物置き場のブラケット
▼ 化粧柱の足元のデザイン
■ 高田の流れ橋
▼ 橋は流れた状態で橋脚が残っている
すべてが流れたのでなく ワイヤーで両岸に残されていた。
一部分流されたようで、新たにつけられる橋が農道の脇においてあった(翌日の20日に村の人で直すらしい)
■ 高田公民館 建設年がわからず皆で考える。
あたらしいような?古いような??。。。。近所の人に聞くと昭和40年代(わすれた)の施行だそうだ。
▼ 外観
■ 秋山邸 和洋折衷の家
▼ もう一つの秋山邸
■ 吉井邸
▼ 表札には「養父郡糸井村字林垣」とかかれていた。この地区は明治時代は朝来郡ではなく養父郡の管轄だったことがわかる。
--------------昼食
■ 本町公会堂
化粧の破風が印象的 さて建設年は???・・・・わからない。
明治のような幹事もしないではないが、昭和だろう。
入口がない??
庇のデザインも凝っている
■ 梁瀬グンゼ
見学の予約をしていたら、すごい歓迎だった。
ただ、兵庫県建築士会ではないのだが・・・・・
▼ 事務所でグンゼ梁瀬工場の説明を聞く
▼ 説明してくださった倉田さん
▼ 工場全景
▼ 工場案内図(クリックすると大きくなります)
まるで迷路である
▼ 工場沿革史(クリックすると大きくなります)
▼ 昔はこの工場に1000人からの従業員がいた。(現在は200人ほど)
工場の中には勉強する場所もあり棟瓦に「学」の文字が入っている
▼ グンゼの「郡」の文字の棟瓦
▼ 中庭
▼ 出来上がった製品を見学女性用下着が主
▼ 工場内部の見学 とにかくやたら広い
▼ 中には地下通路もある
▼ 若い女性もたくさん働いていた。(手前は私の知り合い)
座って並んで作業・・そんなイメージだと思ったが、そうでなく立てって作業
▼ 製品検査
ルーペでチェック。四角の中に何本の糸があるかを見る
■いよいよ建物をみる。ここまで約一時間。
古いものを中心に
旧食堂
■ 事務所棟(昭和10年)
■ 男子寮 (昭和元年)
約一時間半 見学しました。色々ありがとうございました。
■次は JR旧夜久野トンネルを目指す。電化によりトンネルが付け替えられた。
廃線敷きに枕木がおいてある
かすかに残る煉瓦の遺構
廃線上に通っている国道9号線の橋には「山陰本線」の文字が・・・
■ JY梁瀬駅(明治44年)
▼プラットホームは切石だった。養父駅は川の丸石だった
▼手荷物置き場のブラケットは木製
16:30 本日の行程終了
次回は9月16日(土)
行き先 大屋町横行発電所・若杉分校・小倉製糸跡・明延鉱山跡・神子畑鉱山跡他
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■ 夢テーブル委員会2006年7月例会
http://venex5.exblog.jp/3983424/
2006-07-20T19:35:00+09:00
2006-07-20T19:51:15+09:00
2006-07-20T19:35:07+09:00
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■06年7月 香住・浜坂
7月8日(土) 10:00~17:00
参加者 夢テーブル委員 田中 渡邊 中尾
一般 永井
行政 西脇 永松 船谷 小西
見学場所 香住~浜坂~香住
AM 桃観トンネル 久谷の八幡神社 久谷のJRトンネル群
PM 居組駅 居組のめがねトンネル 釜屋三柱神社 田君川橋梁 西光寺 福富の三柱神社
三尾隧道 御崎灯台
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本日の面々
■ 桃観トンネル
香住駅集合後餘部鉄橋を簡単に通り過ぎ、本日メインの桃観トンネルに行く。
入口に着くと後はヤブの中に隠れるように歩く。
▼ 入口より東側を見る
▼ ヤブ漕ぎの中を行くメンバー。別に踊ってるわけではないが手を上げている。
50mも歩くと桃観トンネル東側入口
▼ 坑門の柱型がないことを説明
▼ さらに奥に進む。まさに藪の中
100mほど歩くと水路に付く。煉瓦造のきれいなアーチである。
▼ アーチの水路
東側はこれ以上進めないため引き返す。途中くるみの実を見つける。
▼ クルミの実
▼ 国道から見る東側の排気塔
さて、次は桃観峠を越えて西側にある排気塔をめざす。ここより長靴を履く。
▼ 15分も歩くと排気塔に着く。 準備がよく脚立を段取りして中をのぞく
▼ 桃観トンネル西側出口。石額をみる。また、坑門には柱型があることを説明。
実は東側入口は建設以後新たに造りなおされている。当初は柱型があった写真が残っている。
このことは但馬の近代化遺産の桃観トンネルを参照のこと。
■ 久谷八幡神社の中に『鉄道工事中/職斃病没者/招魂碑』と刻まれた石碑
■ 久谷のJRのトンネル群
築堤された場所なので多くの生活用のトンネルが築かれている。
食事後居組を目指す
■ JR居組駅
▼ 財産標(明治44年とかかれている)
■ 居組駅東側にあるめがねトンネル
和田口のめがねトンネルよりも大きい
■ 釜屋の三柱神社の煉瓦塀
煉瓦が均一でもないしつみ方が粗雑。地元の人が積んだのであろうか??
■ 田君川橋梁
■ 浜坂西光寺の塀
ここの煉瓦塀はきれいに積んである。フランス積みが下部にある
覗き込む
■ 福富の三柱神社
ここは浜坂から久谷に石や煉瓦を送る(トロッコ)場所で鉄道工業有志が唐獅子一対を寄進している。といっても境内の中にあるアカメヤナギの大木のほうが興味がある。
■ 三尾隧道
内部は石の上にモルタルが吹き付けてあった
▼ 竣工記念の石碑(昭和26年と刻まれている)
■ 但馬御火浦 林道三尾御崎線を行く。
▼途中休憩 浜坂の中には船で田に行く場所もあったという話を聞く面々
■ 餘部御崎灯台 最初は昭和26年建設されたが昭和60年に現在の灯台になった。
▼ 案内板(クリックすると大きくなります)
▼昭和26年の台座
内部のレンズやそれを受けている台座も昭和26年のものである。
レンズや台座は5月の灯台の日に一般公開されています。
■ 香住のO邸 昭和30年竹野桑の本の三輪邸を移築したといっておられた。
ここで本日は終了
次回は8月19日(土)です。]]>
■ 夢テーブル委員会6月例会
http://venex5.exblog.jp/3982324/
2006-07-20T15:46:00+09:00
2006-07-21T15:29:29+09:00
2006-07-20T15:46:50+09:00
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■06年6月 豊岡竹野香住城崎
6月10日(土) 10:00~18:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 三輪 渡邊 米田 中尾
一般 松井 永井 西垣
行政 佐々木 船谷
見学場所 豊岡~竹野~香住~瀬戸~城崎
AM 建徳会館、神武山配水場、円山川橋梁、森本中学校。
PM ○○邸、細田邸、竹野川橋梁、北前船のそばにある道路の碑文、浜須井の隧道
小さな隧道、安木のレンガ塀、瀬戸の台場、港橋、導流提、二見水源地、JR橋台跡
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本日の面々
■10:00 豊岡総合庁舎集合
今回は委員会より今日の資料、てっちゃんマニアのNサンから鉄道の資料、土木関係のSさんから道路の資料をいただく。皆が資料を持ち寄るのがすごい。
最初は建徳会館
■ 建徳会館(豊岡尋常中学校本館 明治29年)県下で2番目に古い中学校
詳しい説明は「但馬の近代化遺産 建徳会館」を参照
▼ 全景
▼和魂の碑
▼旧豊岡中学校校章
▼旧豊岡高等女学校校章
■ 神武山配水場(大正11年)中江種造氏が工費33万円拠出してできた。
▼ 全景
▼ 周囲の塀はレンガで作られていた。中江種造氏のレンガ工場で作られたレンガだろうか?
■ 円山川橋梁(タンゴ鉄道)
■ 森本中学校校舎(昭和28年)
現存する木造校舎で現役で使われているのは森本中と八鹿高校大屋分校(昭和32年)だけである。
■ ○○邸
■ 細田邸(庭園が豊岡市指定文化財)
▼ 全景
▼ 手動式の水中銃が玄関先に掛けてあった。
▼ 市指定文化財の庭 この庭をみながらお茶をいただいた。おいしかったです。
▼船の石 池の水が少ないときは中の石が船のように浮き沈みする。
■ 竹野轟の郵便局(前身は何の建物だったのだろうか?)
■ 竹野川橋梁 詳しい説明は「但馬の近代化遺産 ラチス橋」を参照してください。
▼ 日本で3つしかないラチス桁の橋梁
▼ 話題は上部のラチスより下部に残っている松杭のほうの話になる。
▼ 結論は橋脚の補強工事で水をせき止めた松杭が露出して残っている。という結論に達した。
■ 竹野海岸の石碑について
▼説明するSさん。
昔は自衛隊に頼んで道路を作っていただいた。昭和29年から平成4年度までに39箇所でおこなわれた。但馬海岸道路は昭和39年度から40年度。第二但馬海岸道路は昭和45年度から昭和47年までおこなわれた。この道路のおかげで陸の孤島といわれた地区の孤立化を解消するなど重要な役割を果たしている。またこの道路をたたえる碑が平成13年に除幕されたがことも意味が大きい。現在は高速化の道路もすすんでいるが、ゆっくりと走れる道路のPRもやっている。 (あまりにも簡単です。すみませんSさん)
▼その石碑
▼説明文(写真をクリックすると大きくなります)
■ 浜須井の隧道
JRの下の道路。幅4.64m高さ3.28m 大きな隧道だが幌のトラックは幌が当たって通過できない。宅急便の人は歩いて荷物を運ぶ。見かねて車を貸してあげたこともあると地元の人は言っていた。早く直してほしいとも言っていた。
▼ 全景
▼ アーチのレンガと下部にある石 キーストーン(要石)だろうか?。いやいや台座か?
■ 名無き隧道
浜須井から安木までの間にある小さな隧道
幅1.2m 高さ2.2m。夏場は草で存在すらわからない。
▼ 北側入口 小さな隧道だと思ってみると
▼ 出口は高さがあった。ようは土砂が堆積して入口側は埋まって低くなっている。
▼ これも要石なのだろうか?小さくてもちゃんとあるのが面白い
■ 安木地区のレンガ塀
安木地区にはレンガ塀の家が数件ある。これは山陰線の工事(明治43年ごろ)で浜に陸揚げされたレンガの残りで造ったといわれている。
▼ ○○邸 昔は北前船で富を得た大きな豪邸。いたる所にケヤキが使用してある。
母屋は江戸期、新しい部分は大正につくられた。日本各地の材料を使用してある。
▼ 玄関左右にある大黒柱と小黒柱 共に尺(30cm)
▼ 庭を見せていただく
▼ ご主人が説明してくださった。
▼ レンガの刻印
▼ もう一軒 別の家のレンガ塀 異国情緒たっぷりの不思議な世界
▼ 村中のレンガ塀
ここで16:00 時間がないと引き返す。
■ 次は瀬戸の台場をさがす。といってもわからないのでそれらしいところで見たということにする。
▼ たぶんこんながけ地にあったのだろう。
■ 瀬戸の港橋 新しい橋と古い橋が二つある。
▼ 港橋 昭和3年架設
▼ なぜか中央部だけ幅員が狭くなっている
なんでだ?後からつくったのか?などといいながら考えると、さすが土木のSさん。逆梁といいだした。あっと・・なるほど。中央の手すりは高覧ではなく梁なのである。
▼ 中央の手すりは実は梁なのである。下を船が通るため後から造り替えた。中央部の道路下には梁がないことがわかる。
▼ 近くの公民館にできた当時の写真があった。できた当初は同じ形状だということがわかる。
■ 導流提 円山川の水の流れを海に導くもの 昭和20年代か?
50m間隔にポールが立っている。昔は瀬戸から導流提まで(約300mぐらい)泳いでわたったと地元の人はいっておられた。このあたりの河口際は台風23号の時にはつからなかったらしい。むしろ上流部のほうがつかった。なぜなら出口は海の波や風でせき止められ川の水は逆流して水の一番多く溜るのは沖ではなく沖から離れた場所ということも教えられた。
▼ 導流提
▼ 階段石とだんご石
石を階段状に加工して見張りにつかわれたらしい。
だんご石は船のロープをかけるとために造られた。
■ 最後の見学場所 二見の水源地
二見(城崎)から朝見た神武山の配水場まで水が導かれ豊岡市民の上水として使われている。
と簡単に書いたが大正10年には施設ができたのだからすごい。なんといってもその距離は数キロもあり自然の力では無理。神武山配水場は山の中腹にあり受水井からポンプを使って揚水し配水場全町に給水。その容量50万キロリットルで人口15000人の給水量の8時間分を貯水することができた。
▼ 二見水源地
▼ 吐水口上部には石額がある。
▼ 橋の上にあった説明文(写真をクリックすると大きくなります)
■二見の橋台跡
なぜか橋台跡。場所が玄武洞駅近くなので昔玄武洞駅から渡し舟で玄武洞を見学に行ったころにぎわっていたため複線だったのだろう。
ここで18:00 最後までごくろうさまでした。いろいろと勉強になった一日でした。
次回は7月8日(土)浜坂方面にゆきます。]]>
■ 夢テーブル委員会2006年5月例会
http://venex5.exblog.jp/3935129/
2006-05-14T21:42:00+09:00
2006-07-12T21:44:53+09:00
2006-07-12T21:42:25+09:00
venex5
■06年5月 八鹿町
5月13日(土) 10:15~17:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 出田 福岡 中尾
一般 谷本(講師) 永井 藤田(倹) 藤田(孝)
行政 佐々木 西脇 前澤 永松 船谷
見学場所 八鹿町
AM JR八鹿駅及び跨線橋 小出医院 甘棠邸 旧橋本邸 新田開発水路 神社の中にある忠魂碑(砲弾)
PM 浅倉隧道 青谿書院 宿南邸 ○○邸 グンゼ八鹿工場 八鹿の町並み散策
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本日の面々
■ JR八鹿駅 跨線橋
▼ 跨線橋を見る
■ 小出医院
▼ 本日お世話になった谷本さんと小出奥様 地元の藤田倹二郎先生
▼ 小出医院 昭和3年
▼裏側
▼ 細かいデザイン
▼ 勝手口のポーチ(円形)
▼ 庇の方杖
▼ 甘棠邸(県指定) 裏側より
▼ 内部
▼ 細かいデザイン
▼ 甘棠邸裏庭
▼ 玉石を使った井戸
▼ 小出医院本宅
■ 旧橋本邸 (伊佐ふれあい倶楽部)
▼ 藤田先生の話を聞く
■ 水田開発のために造られた水路
■ 神社の中にある忠魂碑(砲弾)
昼食
■ 浅倉隧道
■ 青谿書院
■ 宿南邸
■ ○○邸
ここで会議中の佐々木さんが出てくるのを待つ。コヒーをいただいてしまった。
■ グンゼ八鹿工場
■ 八鹿町内散策
▼ 新町橋
▼ 散策風景(だんだん寄り添っていることがわかる)
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■ 夢テーブル委員会2006年4月例会
http://venex5.exblog.jp/3919227/
2006-04-16T15:02:00+09:00
2006-07-12T14:45:43+09:00
2006-07-10T15:02:03+09:00
venex5
■06年4月 生野町
4月15日(土) 10:15~16:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 三輪 出田 福岡 藤本 米田 中尾
一般 宮崎(講師) 大林 上垣
行政 佐々木 西脇 前澤 永松 船谷
見学場所 生野町
AM 井筒屋 栃原小学校 送水路 鷹ノ巣ダム 新町水路跡
PM 生野町内散策 トロッコ道 社宅 寺町通り 一区公民館 生野トンネル他
解散後 羽淵鋳鉄橋
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本日の面々
10:15 生野まちづくり工房 井筒屋集合 少しミーティングして栃原小学校に移動
今日は朝来市社会教育の宮崎さんに案内していただく。
■栃原小学校(昭和29年)
現在 小学校の跡地利用を検討中らしい
▼ 全景
▼ 室内
■ 送水路 明治初年
水力発電用水路 鷹ノ巣ダムから発電所のある三菱マテリアルの工場まで流れている。
■ 鷹ノ巣ダム(明治初年)
石を固めているのは三和土という
■ 鷹巣橋 昭和6年架設 昭和9年の室戸台風以前の橋は珍しい
■ 新町にある崖 送水路を受けた杭の後が残っている。
四角い穴に杭が差し込んであり、水路を受けていた
■ 新町にあるつり橋
シルバー生野で昼食
■ 小川
再び井筒屋さんに帰り町中を散策
■ 姫宮神社の参道の橋より市川を眺める。
電気機関車専用軌道路床(別名 トロッコ道 大正9年から運転開始)
アーチの形状が違う アーチの足元の岩の位置によりアーチが形成されている
■ 姫宮神社の参道の橋 おお~~円錐形の柱脚
■ 姫宮神社から中学校のほうへ流れる水路
■ 水路橋 これこそ機能美か、、隠れた土木遺産 年代不明
■ 社宅
■ 生野トンネル (明治39年)
山陰線は周囲がレンガ造だが播但線は石で出来ている
16:00 終了
解散後 帰り道に羽淵鋳鉄橋による
■ 羽淵鋳鉄橋(明治18年)
▼ 説明文 (クリックすると大きくなります)
▼ 親柱
▼ 全景
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■ 夢テーブル委員会2006年3月例会
http://venex5.exblog.jp/3911162/
2006-03-12T11:46:00+09:00
2006-07-09T11:53:28+09:00
2006-07-09T11:46:59+09:00
venex5
■06年3月 日高・出石・但東
3月11日(土) 10:00~15:00
参加者 夢テーブル委員 6名 行政4名 一般2名
見学場所 日高町~出石町~但東町
AM JR江原駅 鶴岡橋 上郷停留所跡 上郷橋梁の跡
片間坂峠の線路敷き跡 島口停留場跡 鳥居橋 菅川橋梁橋台
製糸工場跡で昼食
PM 永楽館 大橋 明治館 出石高校赤門 但東町愛宕隋道 中山の看板建築
解散後
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私が遅刻してしまい迷惑をかけました。
▼ 橋の参加者の面々
■ 鳥居橋
▼全景
▼手すりの溝の謎を発見、、内部に手すり子が設けられていたようだ。その跡の鉄板
▼ 橋脚の丸い塊は水流の抵抗を和らげるため付いている
▼ 出石鉄道 鶴岡橋脚の橋台跡
■出石鉄道 上郷停留所跡
ここに上郷駅があったらしいが何の遺構も残っていないので分かりにくい。
■出石鉄道 上郷橋梁の跡
これも言われないとわからない
■出石鉄道 片間坂峠の線路敷き跡
このあたりでの線路敷き跡は良くわかる。
「坂道で列車が登らないので乗客自ら降りて列車を押した」というエピソードはこのあたりか。
■ 小学校裏の裏 島口停留場があったところ
■ 出石鉄道鳥居橋の近くの橋台
■ 鳥居橋
台風23号で有名になった鳥居橋は今付け替え工事の真っ最中。
この鳥居橋昭和10年12月架設(現在(7月)でも橋脚は残っているので橋脚はそのまま使うのだろうか?)
■出石鉄道 菅川橋梁橋台
菅川橋梁から鳥居側の線路敷き跡
その近くの橋 昭和33年の架設だった
■ 出石の市街地の線路敷き(右側へ続く道が線路敷き)
同じ場所の反対側(民家のあたりに線路敷きがあった)
出石鉄道のことは永井さんのHPhttp://homepage3.nifty.com/egf/izushi/index.htmlに詳しく書いてあります。
駐車場に車を止めて昼食
■ 元製糸工場
元製糸工場を改造してレストランになっている。地ビールもある
昼食後 出石町内散策
■ 永楽館
▼内部
■ 大橋
▼ 全景
▼ 手すり。鶴岡橋もこんな感じで手すり子が付いていたのだろう。
▼ 大橋のすぐ横にある灯篭
▼ 説明文 (クリックすると大きくなります)
■ 明治館(旧出石郡役場)
▼ 説明文 (クリックすると大きくなります)
▼ 内部
■ 出石高校 赤門
■ 但東町 愛宕隋道
車を降りて5分も歩くと隧道があった。しかし閉鎖中であった。民家からそんなに遠くない場所にあるし反対側に廻るほかの道もあるし何のための隧道だったのかわからない。
▼ キーストーンまである。
■ 中山にある加藤百貨店、、看板建築
▼民家(元旅館?)
ここで15:00になり解散
一部のものはこの後近くの日出神社(国指定重要文化財)に寄った
▼日出神社
▼ 説明文 (クリックすると大きくなります)
▼蟇股
▼手挟み
▼ 境内の中にある舞台 結構立派な舞台
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復興建築群とまちづくり
http://venex5.exblog.jp/3982576/
2006-02-20T16:51:00+09:00
2006-07-20T17:07:08+09:00
2006-07-20T16:51:44+09:00
venex5
■06年2月 フォーラム復興建築
講演会「 復興建築群とまちづくり」
2月11日(土) 13:00~17:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 渡邊 出田 池口 中尾 他もたくさん
一般 たくさん
行政 前田 西脇 永松 船谷 他もたくさん
場所 市民プラザ
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写真も撮っていないのでプログラムと新聞記事のみ
▼ チラシ(クリックすると大きくなります)
▼ 事前に掲載された新聞記事(クリックすると大きくなります)
▼ 当日のプログラム(クリックすると大きくなります)
▼ 翌日掲載された新聞記事(クリックすると大きくなります)
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■ 夢テーブル委員会2006年1月例会
http://venex5.exblog.jp/3982685/
2006-01-20T17:07:00+09:00
2006-07-20T18:04:57+09:00
2006-07-20T17:11:29+09:00
venex5
■06年1月 会議 豊岡にて
1月14日(土) 13:30~15:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 米田 池口 出田 中尾
場所 地場産 たじま
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■ 2月11日のフォーラムについて
■ ビデオ鑑賞
カトリック教会 他
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■ 夢テーブル委員会2005年12月例会
http://venex5.exblog.jp/3814478/
2005-12-06T19:06:00+09:00
2006-08-01T17:06:05+09:00
2006-06-26T19:06:10+09:00
venex5
■05年12月 和田山・朝来
12月3日(土) 10:00~15:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 三輪 福岡 ○○さん 中尾
一般 なし
行政 西脇 下村
見学場所 和田山町~朝来町
AM JR和田山 機関車庫 朝来市役所別館 田中邸 枚田の浜野邸 JR竹田駅 木村酒造
新井の民家 山口公民館
PM 進藤邸(佐中千年屋)
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本日の面々
■JR和田山駅構内 機関車庫 (明治43年)
▼ 外観
▼ 内部
■上垣医院 (昭和3年)
■朝来市役所別館(昭和30年代?)
■田中邸
■JR竹田駅(明治39年)
▼ 外観
▼ 内部
▼ 財産標 明治39年4月とかかれている
■木村酒造母屋
▼ 外観
▼ 内部
■新井の民家
▼ 外観
▼ 内部
■山口公民館(大正13年)
▼ 外観
▼ 内部 2階の元会議室
▼屋根裏へ続くスチールの階段
▼1階の柱上部
やっと午前の部が終わったのが13:00昼食後進藤邸に向かう
■進藤邸(佐中千年屋)
▼ 外観
▼ 中庭にある石碑
▼ 内部
▼ 囲炉裏を囲んで進藤邸の話を聞く。
15:00終了]]>
■ 夢テーブル委員会2005年11月例会
http://venex5.exblog.jp/3745847/
2005-11-06T08:35:00+09:00
2006-07-09T11:54:28+09:00
2006-06-16T08:35:31+09:00
venex5
■05年11月 豊岡復興建築
11月5日(土) 10:00~16:00
参加者 夢テーブル委員 5名 行政1名
見学場所
AM 豊岡市大開通り他
PM JR豊岡駅 生田通り 建徳会館 豊岡カトリック教会 赤木邸
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豊岡市役所集合 その後 豊岡小学校近くの駐車場に車を置き町中を見学する。
▼ひまわり公園にある親柱。実際にどこの橋から持ってきたのだろうか?
▼宵田通りの但馬信用金庫横にある洋館 現在は信用金庫の持ち物
▼中町にある元銀行のあと。和洋折衷の建物
▼入口の両サイドにある柱型
▼近所の人に建物の歴史を聞く 大正時代の建物ではないだろうかといっておられた。が、震災時にはこのあたりは焼け野原だったのだけど・・疑問だ
▼大開通りを駅に向かってあるく。
▼3戸1の集合ビル。三階の窓のデザインは意表をつく大胆な装飾
▼BOBさんは新しく入居されたお店だが周りとあわすようわざと古く見せたBOBの文字
▼市役所南館 元郵便局 建築家山田守の影響の多い建物
▼えびすさん。木で彫られていると誰か言ってたなあ~
▼町中にある橋の親柱 文字が読めなかった。
▼大開通りを行ったりきたり。歩き回る。
■午後よりJR豊岡駅の見学。見学の手続きをして見せていただく。
▼陸橋より機関庫全景
▼施設の全景
▼給水塔と機関庫 共に大正14年の北但大震災で壊れ建て直された
▼転車台(ターンテーブル)
▼説明を聞く面々
▼運転室
▼機関庫内部
■JR豊岡駅の見学を終えて生田通りへ
▼造り酒屋
▼試飲
▼建徳会館
▼豊岡カトリック教会
▼赤木邸
11月例会終了
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■ 夢テーブル委員会2005年10月例会
http://venex5.exblog.jp/3818939/
2005-10-10T06:55:00+09:00
2006-07-20T18:26:10+09:00
2006-06-27T07:39:12+09:00
venex5
■05年10月 日高・村岡・温泉
10月8日(土) 10:00~16:00
参加者 夢テーブル委員 三輪 出田 米田 福岡 河辺 中尾
一般 永井
行政 前田 吉見 西脇 永松
見学場所 日高町~旧村岡町~旧温泉町
AM 日高町商工会館 日高高校講堂 グンゼ日高工場本館跡 静修小学校 道場ダム 柴垣邸
PM まほろば(旧七美郡役所) 村岡町内散策 新温泉町温泉支所(旧温泉町役場 温泉小学校円形校舎
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本日の面々
■ 日高町商工会館(旧日高町役場 昭和10年)
正面に玄関を置く、典型的な庁舎建築の構成を持つ。スクラッチタイルを2階天上近くまで
貼り、玄関上部は駒形の妻型にし、ロンバルディアアーチで縁取り、窓台周辺もレリーフで
飾るなど正面性を強調する。
玄関の車寄せは後年、改造されている。
■ 日高高校講堂(旧日高小学校講堂 昭和3年)
かまぼこ型の雨天体育場にも通じる造形の建築。日高高校は昭和27年の開学である。
昭和初期、日高小学校の講堂として建設されたものをそのまま、日高高校が使用。
屋根周りには換気窓も付けられ、保存状態はよい。ただし玄関周りは改造されている。
妻側のレリーフに1928の文字がある。昭和3年に建設された事を示すのであろう。
■ グンゼ日高工場本館跡(昭和3年)
■ 静修小学校(昭和4年)
昭和二年の校舎改築問題
・日高村は大正14年に日高町になる。この頃、日高校、静修校ともに校舎の増改築が問題となりました。このときも、農村の疲弊を背景に、その負担に堪えることができないとして、世論が上がりました。(知事は両校とも増改築の裁量)。町当局は複々合併新築を提唱、日高校の新築を計画しました。
・大正14年、日高校に鉄筋の講堂の新築と運動場を拡張する議案が提出されたのをきっかけに、静修校区民をあげて騒然とした運動が展開される。中略 静修校廃校の不安、町会勢力の15対3という劣勢、不況による疲弊困窮などの事情が重なって区民は直接運動に訴える。幾多の曲折を経ながらも妥協が成立。旧校舎を売却して鉄筋講堂を新築する。これが現在の旧鉄筋校舎である。こうして昭和4年に旧鉄筋校舎が落成しました。(歴史探訪の記録より)
■ 柴垣邸
柴垣家は元禄時代から続いており、当主は9代目にあたる。庄屋弥兵衛とも呼ばれ、戦前(祖父の代まで)は財力があり、堅実な暮らしを目指されていたが、戦後農地改革により一変。
専業農家として、梨、養鶏、アスパラガス等田畑に根ざした生活を営まれてきた。
母屋は大正初期、はなれは明治初期に建築。周囲の土壁や門構えは元禄時代の原形を保ち、家のまわりの自然と調和がとれてとても美しい家である。
母屋を昭和初期に改築されたとの事だが、どの部屋から見ても家の中全体の調和がとれていて、かえようが無いくらい現代の生活にマッチしている。
今も昔のままの生活をしているとおっしゃっているが、物を大事に大切に扱ってこられた様子が家の随所から伝わってくる。 「但馬学99年1月例会より」
■ まほろば(旧七美郡役所 明治27年)
だまされた改造
ぱっとみれば昔のままのように見えるが、よく見ると壁はサイディングを貼ったもの。実際に昔の物が残っているのは、柱や破風、窓周りの部材だけであり後は新しくされた物である。もう少し建物の価値を解ってほしいものである。
M氏が室内の照明の天井飾りを撮ろうとしていた時、改造時に既製品を貼り付けたと説明あり。聞いたとたん、シャッター押すことなく外に出て行った。
■ 村岡町内散策
■ 新温泉町温泉支所(旧温泉町役場 昭和7年)
新庁舎建設後取り壊し予定(18年度)
昭和58年には2階を改造。
そりたった屋根に懸魚を設け和風を全面的に打ち出している。反面、腰のスクラッチタイルやポーチの車寄せなど建築時の流行のデザインも取り入れている。洋風なら洋風という建物が多い中で、和洋折衷のデザインのRC建築物。土地柄なのかどうかわからないが、とても面白い建物である。
■ 温泉町内散策
■ 温泉小学校円形校舎(昭和32年)
新校舎建設後取り壊し予定(18年度)
・「円形校舎」とは何か
「円形校舎」とは、昭和30年代に多く建てられた、円筒形をした校舎のことです。上から見ると、ドーナツ状に教室が配置されています。全国で、約100棟ほど建てられたとも言われています。しかし、現在、その多くが築50年を経て、解体が進んでいます。
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